新しい年を迎え1月も終わりになりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。身も心も「けんこう」に、毎日仏さまに手を合わせておられますでしょうか。
年が明けると檀信徒の皆様がお墓参りと一緒にお寺の玄関に挨拶に来て下さいます。そして今年は皆さん一様に地震の話をされます。「新年だけど、おめでとうって気分にはなれないね」「おめでとうと言っていんでしょうか?」と話す方もいらっしゃいます。確かに私もお正月で目出度い気分、新年を祝う気持ちにはなれませんでした。しかしながら、新年の「おめでとう」という挨拶はしてもいいと思います。なぜかと言うと、お正月に「おめでとう」と言葉を交わすのは感謝の気持ちの表れであると教わったことがあるからです。「おめでとう」は自分自身が健康で無事に新年を迎えることができた事に対しての感謝の言葉で、互いに「思い通りにならない事も多いけど、今ここに生きていることが出来てよかったね、おめでとう」と励まし合い、一年という節目を乗り越えていくのです。面と向かっている相手に対しての感謝、また、自分の生活や命を支えてくれている全ての存在に対しての感謝が、「おめでとう」という言葉に凝縮されているのです。だからこそ、自信を持って感謝の気持ちで、これからも「おめでとう」と言っていただきたいと思います。
この言葉は、修行者の心構えを説いたものです。修行中に他の人がどんなことをしているのか、どんな事を言っているのか、そればかりに気をとられると、自分の修行に集中できません。様々な誘惑や欲望に負けず、「いま自分がやるべきこと」「いま自分の目の前にあるもの」に集中し向き合うこと、つまり自分の足下を見つめ直すことが大事であると言っているのです。
禅では、日常生活の全てが修行であると説きます。坐禅や読経だけでなく、顔を洗うことや食事をすることの中にこそ大切な教えがあるのです。「脚下照顧」という言葉は、大切なものを自分の外に探し回り迷子になっている私たちに、大事なものは自分の身近なところにあることを教えてくれているのです。
曹洞宗 永泉寺
手を合わせれば いつでもほとけさまに逢える 手を合わせれば そこには大切な家族がいる 永泉寺は皆さまの 心の道しるべになるお寺 でありたいと願っています お葬式・ご法事・お墓のお悩み 樹木葬・永代供養墓について いつでもご相談下さい
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