脚下照顧 〜足下を見つめ直す〜

 新しい年を迎え1月も終わりになりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。身も心も「けんこう」に、毎日仏さまに手を合わせておられますでしょうか。
 今年は元日の能登半島地震、2日の羽田空港の飛行機事故と悲しい出来事からはじまりました。新聞やニュースは連日、被災地の様子を伝えています。地震や津波で大切なご家族を失った方々、家を失い今後どうしたらいいか先が見えない方々、苦しい避難生活を続けている方々が大勢います。お亡くなりになられたお一人お一人のご冥福をお祈りすると共に、被災された皆様にはお見舞いを申し上げます。少しでもこの苦しい状況が改善し、被災された皆様が安心して生活できる日が来ることを願ってやみません。
 このような事態に直面すると、やはり平穏な日常が何より幸せなことなのだと改めて感じております。思い通りにならない事が多くある中でも、新しい年を迎えることが出来たことに感謝し、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。
 

 年が明けると檀信徒の皆様がお墓参りと一緒にお寺の玄関に挨拶に来て下さいます。そして今年は皆さん一様に地震の話をされます。「新年だけど、おめでとうって気分にはなれないね」「おめでとうと言っていんでしょうか?」と話す方もいらっしゃいます。確かに私もお正月で目出度い気分、新年を祝う気持ちにはなれませんでした。しかしながら、新年の「おめでとう」という挨拶はしてもいいと思います。なぜかと言うと、お正月に「おめでとう」と言葉を交わすのは感謝の気持ちの表れであると教わったことがあるからです。「おめでとう」は自分自身が健康で無事に新年を迎えることができた事に対しての感謝の言葉で、互いに「思い通りにならない事も多いけど、今ここに生きていることが出来てよかったね、おめでとう」と励まし合い、一年という節目を乗り越えていくのです。面と向かっている相手に対しての感謝、また、自分の生活や命を支えてくれている全ての存在に対しての感謝が、「おめでとう」という言葉に凝縮されているのです。だからこそ、自信を持って感謝の気持ちで、これからも「おめでとう」と言っていただきたいと思います。


 

 さて、お参りに来てくださった方には見ていただいたと思いますが、現在の掲示板の言葉を紹介いたします。

 「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)

 この言葉をどこかで目にしたことはあるでしょうか。この言葉はお寺の玄関に立札で置いてあることが多く、「履き物をそろえましょう」という注意書きです。しかし、ただ靴を揃えましょうと言うだけでなく、「足下を照らし、顧みる。」という大事な意味があります。足下とは、自分の日々の行いや物事に対する姿勢のことです。人はどうしても、他人のやっていることや言うことに目が向かい、自分のやっていることには目をつぶりがちです。

 

 お釈迦さまはこの様な言葉を残しています。

 この言葉は、修行者の心構えを説いたものです。修行中に他の人がどんなことをしているのか、どんな事を言っているのか、そればかりに気をとられると、自分の修行に集中できません。様々な誘惑や欲望に負けず、「いま自分がやるべきこと」「いま自分の目の前にあるもの」に集中し向き合うこと、つまり自分の足下を見つめ直すことが大事であると言っているのです。

 禅では、日常生活の全てが修行であると説きます。坐禅や読経だけでなく、顔を洗うことや食事をすることの中にこそ大切な教えがあるのです。「脚下照顧」という言葉は、大切なものを自分の外に探し回り迷子になっている私たちに、大事なものは自分の身近なところにあることを教えてくれているのです。
 新しい年を迎え、ここで今一度履き物を揃え、自己を見つめ直しましょう。そして、足下にある大事なものを見失わず、自分のそばにあるものや、自分を支えてくれているものを大切にして生きていく気持ちを新たにしていただきたいと思います。


曹洞宗 永泉寺

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