お釈迦さまが悟った日、12月8日

 お釈迦さまは12月8日に悟りを開きました。悟りを開いたことを成道(じょうどう)(道を成す)といい、お寺では「成道会」(じょうどうえ)の法要をお勤めし、お釈迦さまが悟りを開いたことをお祝いします。
 

 お釈迦さまは釈迦族の王子として生まれ、いずれは王として国を治める立場にありました。王子としての生活は恵まれたものでしたが、「生老病死」(しょうろうびょうし)という誰もが等しく感じる苦しみに対する憂いを抱き続けていました。その憂いを解決し、答えを見つけるためにお釈迦さまは王子としての地位や財産、家や家族など全てを捨てて出家をします。出家をしたのは29歳で、結婚もして子どももいたといわれます。


 お釈迦さまは出家をしてから6年間にもわたる厳しい苦行を行いました。しかし、肉体的にも精神的にも自分を追い詰める苦行では、自分が思い悩んでいた「生老病死」への憂いは解決できないことに気づきます。そして苦行をやめて河の水で身体を清め、スジャータという村娘のささげた乳粥(ミルクで煮込んだお粥)を食べて苦行の疲れをいやし、菩提樹のもとで静かに坐禅を組みました。お釈迦さまはことのとき「悟りを開くまでは絶対にこの坐を立たない」と誓いをたてました。そして坐禅にはいって8日目の明け方に、明けの明星が昇るのを見て悟りを開いたのでした。35歳のことでした。

 このお釈迦さまの修行の姿にならい、修行道場では12月1日から8日まで、朝起きてから夜寝るまでひたすら坐禅をする「摂心」(せっしん)という修行を行います。「摂心」とは、「心をととのえて一つにおさめる」という意味があり、坐禅の心がまえの言葉でした。それがいつからか、数日間集中して坐禅を行う修行の事をいうようになったのです。そして、12月に行う「摂心」を「臘八摂心」(ろうはつせっしん)といいます。12月のことは「師走」といったり、「臘月」(ろうげつ)ともいいます。ここから、「臘月」の8日間の坐禅は「臘八摂心」(ろうはつせっしん)となりました。普段は本堂で行う朝昼晩のお勤めも坐禅堂で坐禅を組みながら行います。食事は普段から坐禅堂で坐禅を組みながら食べますし、寝るのも坐禅堂です。「起きて半畳、寝て一畳」の生活です。そのため、坐禅堂から出るのはトイレで用を足す時くらいでしょうか。坐禅三昧の8日間です。8日間の坐禅を修行して、12月8日に「成道会」の法要を行います。「成道の日」=「悟りを開いた日」とは、「仏教の誕生した日」ともいえます。仏教の誕生をお祝いする法要でもあるのです。


 では、お釈迦さまは何を悟られたのでしょうか。様々な教えが残されていますが、その一つに「中道」(ちゅうどう)という教えがあります。お経にはこのように書いてあります。

 「中道」の教えはお琴の弦に譬えられます。

「琴の弦がゆるんでいては、美しい音は奏でられない。これは欲望にまかせた生活である。しかし、張りつめ過ぎてしまうと弦は切れてしまう。これは苦行の生活である。欲望と苦行の間の弦の張り具合、心と身体のバランスをととのえることが大切である。」

 

 曹洞宗は坐禅の教えを依りどころにしています。その理由はお釈迦さまが悟られたとき坐禅をしていたからです。坐禅をすることで身も心もお釈迦さまに近づけるのです。

 坐禅はまず姿勢をととのえます。姿勢がととのったら息に集中し、ゆったりと呼吸を落ち着けます。そして姿勢と呼吸がととのうと、自然と心が穏やかになります。「中道」の教えにあるように、姿勢がゆるみすぎたり、姿勢を良くしようとして身体がこわばっていると呼吸も落ち着きません。呼吸が落ち着かないと心も安らぎません。自分に合うちょうど良い張り具合をととのえるのが坐禅なのです。坐禅の実践によって得る「身と心のやすらぎ」が、そのまま仏の姿となります。「坐禅」の姿勢と心で日々の生活を丁寧に行うことが正しい生き方へとつながっていくのです。それがお釈迦さまの説かれた教えであり、生き方なのです。

曹洞宗 永泉寺

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