主人公

 「主人公」という言葉は、ドラマやアニメの「主役」という意味で使われますが、実は「禅」の大切な教えを伝える言葉でもあります。
 
 禅の教えで「主人公」とは、「自分の本来あるべき姿」のことです。「本来の自己」とか「本来の面目」なんて言ったりもします。仏教では、誰もが仏さまと同じように、「相手への思いやりの心を持ち、違いを認め合って生きることのできる力」が具わっていると教えています。その素晴らしい力に気付き、それを実践して生きる姿が「自分の本来あるべき姿」です。 

 
 しかし私たちは、自分が「主人公」であることを忘れがちです。他人と自分を比べて嫉妬したり、自分が持っていないものを相手が持っていると羨ましいと思い、持っていないものばかりを探して落ち込んだりします。何故そのような感情に振り回されてしまうのかというと、自分ではなく相手を自分の人生の「主人公」にしてしまっているからです。


 誰かと自分を比べるとき、人は自分の本来の姿を見失いがちです。周りの目を気にして、どうせ自分はダメだと卑下したり、自分の方が優れていると慢心したり、無理な背伸びをして小さな嘘をついてしまったりしてはいないでしょうか。これらのことは、全て相手を基準にしてしまっている結果です。相手基準で自分は何点なのか点数をつけている状態です。そして、相手よりも一段上に立っていたいという欲が自分の心を乱してしまうのです。

 

 もちろん、私たちは他人との関係なしに生きていくことは出来ないので、周りからの目線を無視することもできません。しかし、必要以上に気にすることもないでしょう。自分が思っているほど他人は自分のことなんて見ていないのです。みんな自分の好きなことや楽しいこと、自分の抱えている仕事や勉強、夢や悩みのことを考えることで精一杯です。他人の目線にもっと鈍感になってもいいのではないでしょうか。


 それでも他人の目が気になる人は、しっかりと自分に目を向けるといいでしょう。目の向け方にも様々ありますが、正しく自分を見ることができれば「主人公」である自分を見失うことはないはずです。 「主人公」として生きるポイントは以下の3つです。


「自分自身を大切にすること」

「自分を支えてくれる人たちを大切にすること」

「自分のやりがいのある事を見つけ、それに向かって懸命に生きること」


 仏教は「自分のことは後回しにして、困っている誰かのために行動する」そんなイメージが強いと思います。それも大切なことですが、何より大切なことは、「自分自身の命の尊さ」を知ることです。自分が今生きていることの有り難さ、自分の存在の尊さに気付くことができれば、おのずと自分の周りの人も同じように尊い存在であることに気付けるでしょう。そして自分を大切にするということは、自分に命を繋いでくれた親や先祖を大切にすることであり、また、自分を支えてくれている人たちを大切にすることにも繋がります。そして、親や自分を支えてくれている人たちへの1番の恩返しは、受け継いだ命を大切にし懸命に生きている自分の姿を見てもらうことです。このように自分を見つめ直すことが出来れば、「主人公」である自分を見失うことはないでしょう。 


 「本来あるべき姿」とは、かけがえのない、比べることのできない尊い命を生きている事実に気づき、無理に背伸びせず自分なりに生きていく姿なのではないでしょうか。

曹洞宗 永泉寺

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