修行の話し

 こんにちは、副住職の秀元(しゅうげん)です。このホームページを作ってしばらく記事を書いていませんでしたが、これからは少しづつお伝えできることがあれば綴っていきたいと思います。
 私は現在、曹洞宗と縁のある学校に勤めていて、高校生や中学生に仏教の話をしたり、一緒に坐禅をする機会があります。その際、私の修行時代の話を時々します。今回は坐禅の時に話した修行の話しです。
 お寺の修行と聞くと、皆さんはどのような事を想像するでしょうか。滝に打たれる、火の上を歩く、冷たい水を何度もかぶる、山の中を歩き巡るなど、色々なメディアを通して見聞きしているのではないでしょうか。(私も子供の頃は、修行に対してその様なイメージがあり、「大変そうだな、でも滝にうたれるのはちょっとやってみてもいいかな」なんて思っていました。)しかし、実際の修行は想像していたものとは違いました。
 修行生活の1日の流れは、朝起きて、洗面、坐禅、朝のお経、朝食、掃除、昼のお経、昼食、掃除、夕方のお経、夕食、坐禅、就寝という流れです。「坐禅・お経・食事・掃除」これを毎日繰り返します。季節によって特別な行事をお勤めすることもありますが、毎日ほぼ同じ変化の少ない生活です。なので、修行をすると何か特別な力がつくのではないかと思う人もいる様ですが、そんなことはありません。しかし、このような修行生活を続けていくと、自分の中で少しづつ何かが変わっていることに気づきます。何が変わるかというと、物の見方です。

 修行道場でまず指導されるのは、物を丁寧に扱うという事です。身の回りの物を自分の「目の玉」だと思って大切に扱いなさいと指導されます。具体的には、何をするにも両手で丁寧に行うということです。お箸を持つときも両手、雑巾を持つときも両手、床に落ちたものは膝をついて両手で拾います。とにかく両手で丁寧に、これを徹底的に仕込まれます。丁寧にやろうとすると、動作がゆっくりになります。しかし、ゆっくりやることは許されません。道場は集団生活なので同じことを皆で行いますが、基本的には先輩の早さに合わせて作法を進めていきます。作法に慣れている先輩に合わせるので、慣れていない新米和尚は焦ります。焦ると作法がいい加減になり、注意されるのです。修行道場の生活に慣れるのには、個人差がありますが、私は半年くらい経ってやっと落ち着いて周りを見ることができるようになりました。
 話を元に戻します。なぜ物の見方が変わったのか。その原因は両手で扱うという動作ではないかと思います。物を誰かに渡すとき、あなたはどのように渡しますか。片手で渡す、両手で渡す、投げて渡すこともできます。渡し方は様々ですが、相手に心を込めて渡そうとするとき、自然と両手になるのは私だけではないと思います。両手をつかうと自分の思いがその物に伝わるような気がします。受け取る側も、両手で渡されると相手の気持ちを感じて両手で受け取ろうとします。両手で扱うという行動が、自分の気持ちや相手の気持ち、行動も変えてしまうのです。
 修行生活に慣れ、両手で物を扱うことが当たり前になってきたとき、初めはそれほど大切だとは思っていなかった「お箸」が、とても大事な宝物の様に感じる瞬間がありました。そして、その「お箸」でいただくお米や野菜へのありがたみの気持ちも変わったように思います。両手で扱うという行動が、心の持ちようをこんなにも変えていくのかと、私は修行生活で実感しました。
 私達は普段、色々な物に囲まれ、色々な物を所有し、色々な物を消費して生きています。そして、物に対するこだわりを強く持っています。価格や見た目、もっと新しい物、もっと珍しい物など、こだわり方は人それぞれです。しかしこだわるべきは、どんな物を使うかではなく、どんな物でも大切にできるか、どんな物でも丁寧に使う事ができるかという、物に対する姿勢ではないでしょうか。「何を使うか」よりも「どのように使うか」にこだわると、物の見方が変わり、今より少し豊かな気持ちで生活できるのではないかと思います。豊かな気持ちとは感謝の気持ちです。思い返すと、修行道場の入り口で先輩の和尚様に「修行とは報恩の行である」と教えられました。なぜ自分の修行が恩に報いることになるのか、その時はよく分かりませんでした。しかし、毎日同じことを繰り返す生活の中で、一つ一つの丁寧な行動が、自分が毎日使っている物や、それを作ってくれた人に対する感謝の気持ちに気づかせてくれました。日々の行いが、自分が使っている物や、自分を支えてくれている人への恩に報いることに繋がるのです。
 これはお寺の修行の話しですが、決して修行道場でなければ出来ないことではありません。物を丁寧に扱うことは、心がけ次第で今からでも実践できることです。皆様も、物に対する姿勢を見直すことから、自分の生きかたを調えてみてはいかがでしょうか。

曹洞宗 永泉寺

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