天上天下唯我独尊



 お釈迦さまは、生まれた直後に7歩歩き、右手で天を指し、左手で地を指し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたと伝えられています。
 この話を聞いて、お釈迦さまってやっぱり特別な方なんだ!とあなたは思ったでしょうか。この話を学校で高校生にすると、生徒たちはどんな反応をしていいのか分からず、「え?」という顔をしています。おそらく彼らの心の中は、「人間が生まれて直ぐに立って歩いて話すわけはない。でも、お釈迦さまの話だし、お坊さんが真面目に話しているから嘘だとも言いづらい…どんな顔して聞いたらいいの…」といった具合でしょうか。そこで私が「この出来事は不思議な話しですね。お釈迦さまも私たちと同じ人間なので、私たちと同じように生まれてきたはずです。しかし、お釈迦さまを崇める気持ちから、後世にこの様な脚色がされたのでしょう」と言うと、皆安心した表情になります。人々を安心させるために教えを説いたお釈迦さまの話しで、逆に生徒を悩ませてしまい、私はいつも複雑な思いになります。しかし、この話のインパクトは絶大で一度聞いたら忘れません。「お釈迦さまは素晴らしい教えを説いた方である」という強い印象を人々の記憶に焼き付けるために、この様な話が語られるようになったのではないかと想像します。他にも誕生秘話はありますが、今回は割愛します。

 なぜ、最初に語った言葉が「天上天下唯我独尊」なのか。それはこの言葉が、仏教の大切な教えを伝える言葉だからです。大切な教えとは、「人は生まれながらに、誰もが平等に尊い存在である。そして誰もが立派な人(仏)になれる力を持っている」という教えです。



『法華経』というお経に、こんなお話しがあります。
 

 この世界の大地には、いろいろな草や木が生い茂っており、その種類は多く、名前も姿もそれぞれ異なっています。そこに、空いっぱいに雲が広がり 雨を降らします。その雨は平等にあまねく降りそそぎ、草木を潤します。草 にも 小さな草、中くらいの草、大きな草があり、木にも 大きな木、小さな木 があります。これらの草や木は同じ大地に生え、降り注ぐ雨は平等ですが、小さな草は小さいなりに、大きな木は大きいなりに、 その受け取る量は異なります。それでもそれぞれが自らの命を精一杯輝かせ、 生き生きと成長していくのです。
                       『妙法蓮華経 薬草喩品』 

 「草や木」とは、私たち人間のことを譬えています。「大きな木」や「小さな草」など、姿形は違えども、それぞれが自分なりに、それぞれの生き方で命を輝かすことができる。この話は多様性を認める大切さを説いています。この世界には、地域や文化、人種や言葉、思想など、多様な背景を持つ人々が同じ時代を生きています。その違いを認め合い、お互いに思いやりの心を持ち、助け合って生きていくことの重要性を、『法華経』ではこのような譬えを用いて説いているのです。
 多様性を尊重する上で大切なことは、「自分自身の尊さ」に気付くことです。自分の命を第一に思い、自分を大切にする気持ちは誰もが同様に持っています。そして、自分が大切にしているものや考え方を否定されたり、自分を傷つけられることは誰だって嫌なものです。だからこそ、周りの人にも同じ思いをさせてはいけないのです。そのことに気付き、人に対して思いやりの心を持って向かい合っている時こそが「自分自身の尊さ」に気付けている瞬間ではないでしょうか。この様な気付きは、日々の生活の中で、誰もが感じる事ではありますが、長続きはしません。そんな時にこそ、お釈迦さまの言葉に立ち返ることが必要ではないかと思います。


「天上天下唯我独尊」
人は誰もが、比べることのできない尊い存在です。
そして誰もが立派に生きることのできる力をもっています。

そのままでいい
人と比べなくていい
君には君だけの
花の咲かせかたがある



曹洞宗 永泉寺

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