食事で自分を見つめ直す

 こんにちは、副住職の秀元(シュウゲン)です。
 先日、境内の掃除をしていたところ、お参りに来られていた方に「ホームページを時々見てます」と声をかけていただきました。ホームページを作成してから初めて感想を聞いたので、とても嬉しかったです。これからも色々とお伝えしていきますので、宜しくお願いします。

 以前、「修行の話し」という記事を書きました。内容は、お箸を丁寧に扱うことが、食べ物に対する自分の思いを変えていくという、修行時代の話しでした。そこで、今回は修行道場の食事についてのお話しです。
 食事の始めと終わりに、皆さんも手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」と挨拶をしますよね。修行道場では食事の前後にお唱えをするのですが、それがとっても長いのです。初めてそのお唱えを聞いた人は、いつになったらご飯が食べられるのだろう、と思うでしょう。食事の時は必ず自分の食器を使います。食前のお唱えは、①食器を広げる前のお唱え ②食べ物を器に配る前のお唱え ③食事の功徳(効能)を確認するお唱え ④食事をいただく心構えのお唱え ⑤何のために食べるかを確認するお唱え、これを順番に唱えてやっと食べることができます。「いただきます」をゆっくりと50回言うくらいの長さでしょうか。本当に長いのです。今日は「食事のお唱え」について、一つ紹介したいと思います。
 上で紹介した、「④食事をいただく心構え」のお唱えを、『五観の偈(ごかんのげ)』といいます。これは食事を通して、五つの視点から自分の生き方を見つめ直しましょうという内容のお唱えです。


「五観の偈」
①この食事が、どれだけ多くの人の手間に支えられ、また、どの様な場所から食材がここに届けられたのかをよく考え、感謝して頂きます。
②この食事を頂くにあたり、自分の日ごろの行いがこの食事に見合ったものであるかどうか、十分な反省をして頂きます。
③この食事を頂くことにより、心を正しく保ち、過ちから離れるため、貪りの心、怒りの心、偏見や差別を生む愚かさの心、を起こさないようにします。
④この食事なしでは、体は枯れるように衰えてしまいます。まさに良い薬を服すように頂きます。
⑤仏さまに近づけるように心に誓い、今、この食事を頂きます。
 
 普段、何気なく口にしている「いただきます」の意味を考えたことはあるでしょうか。何をいただくのか?何のためにいただくのか?、それは『五観の偈』を通して見るとより具体的になってきます。私たちは、野菜や穀物や動物の「いのち」を食べないと生きていくことは出来ません。そして、その「いのち」は、大自然の恵みであり、誰かが苦労して大切に育て、様々な人の手を伝い、美味しく食べられる様に誰かが料理をしてくれてやっと自分の目の前に並びます。その「過程」や「関わった人々」、そして「いのち」そのものにしっかりと目を向けて感謝をする。そして、その「いのち」を頂くに見合った生き方をしているか、正しい目的を持って食べているか、目標に向かって努力しているか、といった目線で自分を見つめ直すのです。
 曹洞宗の教えを中国から日本に伝えた道元禅師は、「食事を作ること」「食事を食べること」をとても重要視しました。現在でも修行道場では、道元禅師の書き残した『典座教訓(てんぞきょうくん・料理をする者の心構え)』、『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう・食事を食べる者の作法)』を大切に、食事を修行として行じています。そして、その大切な心は、皆さんが言っている「いただきます」の言葉の中にしっかりと生きています。食事というと、「今日の給食は何かな?」とか、「今日の夕食は何を食べようか」というように、「何を食べるか」に目が向きがちです。しかし、目を向けるべきは、「何を食べるか」ではなく「どのように頂くか」という、食事に対する自分の姿勢ではないでしょうか。「生きる」ことは「食べる」ことです。つまり、「食べ方」は「その人の生き方そのもの」なのです。『五観の偈』の教えを知った皆さん、是非、食事を通して自分の生き方を見つめ直してみてはいかがでしょうか。


曹洞宗 永泉寺

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