すべてのいのちへの供養 ~布施のこころ~

 今年の夏も厳しい暑さが続いておりますが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。身も心もけんこうに、毎日ほとけさまに手を合わせておられますでしょうか。外出の際にはどうぞご無理のないよう、体調を整えながらお過ごしください。
 
 お盆の時期になると、多くの方がご先祖様のお墓参りをされます。私たちは普段、自分の家のご先祖様を想い、手を合わせて供養しています。しかし、この世にはさまざまな理由で、供養されることのない亡き方々もおられます。
 

 8月20日は永泉寺の「施餓鬼会(せがきえ)」です。この法要は先祖供養の行事ですが、直接の対象はご先祖様ではなく、供養を受けられないすべての精霊(しょうれい)です。供養を受けられないすべての亡き精霊に対して、食べ物や飲み物をお供えしその苦しみを和らげるために営む法要であり、食べ物を施す「施食(せじき)」とも呼ばれます。
 
 「施餓鬼会」は、「餓鬼(がき)」に「施す」と書きますが、ここで登場する「餓鬼」とは、仏教で説かれる「六道(ろくどう)」の一つです。「六道」とは、迷いのない仏の浄土に対して、迷いのある六つの世界のことです。六道は死後に行く場所と思われがちですが、実は私たちの心の在り方そのものを映し出した世界でもあります。


六道とは…すべての衆生が生死を繰り返すとされる六つの世界

地獄:怒りや憎しみに支配され、苦しむ世界
餓鬼:むさぼり(貪欲)にとらわれ、飢え渇きに苦しむ世界
畜生:無知にとらわれ、本能のままに生きる世界
修羅:争いや嫉妬に明け暮れる世界
人間:喜びも苦しみも味わい、仏道修行に縁を持てる世界
天 :快楽や幸福で満たされるが、やがて尽きる世界

 怒りにとらわれれば地獄に、欲にしばられれば餓鬼に、争えば修羅に……と、心の状態そのものが六道の姿です。
 
 施餓鬼会では、この餓鬼をはじめ、供養を受けられないすべての亡き方々に食べ物を施し、功徳を積みます。功徳とは、よい行いである「善行」そのものや、善行によってその人に具わる徳のことです。そして、その功徳を自分のご先祖様へと回らし向ける、「回向(えこう)」することで、間接的に先祖供養へと繋がっていくのです。
 
 そして、この法要には「布施(ふせ)」の教えが込められています。布施とは、モノや心を見返りを求めず分け隔てなく誰かに分け与えることです。モノに余裕があればモノが足りなくて困っている人に分けてあげる、時間に余裕があればその時間を誰かの為につかう、気持ちに余裕があれば誰かの悩みを聞いてあげることで心を分けてあげることもできます。笑顔で挨拶をする、席を譲るといった小さな心配りも立派な布施です。たとえ物質的に余裕がなくても、心を与えることは誰にでもできます。

 
 施餓鬼会は、こうした「布施」の修行をつむ場でもあります。布施の実践を通じて自分の生き方を見直し、より良い日々を送る努力を重ねること。ご先祖様からいただいた尊い「いのち」を大切にし、その「いのち」をもって誰かのためになる行いをしていくこと。そうした姿を、ご先祖様に見ていただくことこそ、もっとも大きな供養であり、ご先祖様に喜こんでいただけることなのです。そして何より、ご先祖様をはじめとした多くのご縁に支えられて生かされていることに感謝する心こそが、大切な供養につながるのです。

曹洞宗 永泉寺

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