無事であること

新年のご挨拶

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
日頃より永泉寺をお支えいただき、感謝申し上げます。
新しい年を迎え、皆さまが穏やかな一年を過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます。


 元日には、檀信徒の皆さまが、ご家族そろってお墓参りを兼ねてお寺の玄関まで挨拶に来てくださいます。その際、ささやかではありますが、お年賀の品をお渡しし、お子さまたちにはお菓子をお配りしています。お参りの折には、どうぞ気軽にお寺の玄関までお立ち寄りください。


 新しい年を迎えると、「今年は良い事がありますように」という思いが、自然と心に浮かんできます。けれども、ふと考えてみると、良いことがある日々よりも、「良くないことが無い日々」のほうが、実は有難いのかもしれません。大きな幸せや特別な出来事がなくてもいい。 ただ、 身も心も健やかで、 大きな災いもなく、今日という一日を静かに終えられること。それだけで、実は十分に尊いことなのではないでしょうか。


 お釈迦様は、人生は思い通りにならないものだと説かれました。 だからこそ、「もっと、もっと」と求め続けるよりも、何事もなく「無事に過ごしている今」に感謝する心を大切にしたいものです。

 道元禅師の勧める坐禅は、 「只管打坐」(しかんたざ)といわれます。ただひたすらに坐る、という意味です。 何かを得ようとせず、 何かを変えようとせず、 ただひたすらに「今」を丁寧に生きることを勧めています。丁寧に生きるというのは、特別なことを成し遂げることではありません。誰かと会ったら挨拶すること。 食事をいただくこと。 靴を揃えておくこと。人の話しを聞くこと。 その一つ一つをなおざりにせず、「今ここ」に心を置いて行うことです。
 私たちはつい、過去の後悔や未来の不安に心を奪われ、「今」をおろそかにしてしまいがちです。丁寧に生きることは、心を過去や未来から解き放ち、目の前の現実と静かに向き合うことにつながります。只管打坐が教えてくれる「丁寧に生きる」という姿勢は、今日を、そして今を、確かに生き切るための道です。その一日一日の積み重ねが、自分自身を形づくり、私たちの人生を豊かなものへと導いてくれるのではないでしょうか。

 新しい年の始まりに、先の幸せを求めるよりも、今日を無事に過ごせたことに「ありがたい」と思える生き方を心に留めてみてはいかがでしょうか。 足りないものを数えるのではなく、今ここにある命を感じる時間を大切にしたいものです。

 本年も永泉寺は、 皆さまがほとけさまに手を合わせ、自らの生き方を見つめ直し、 心を調えることのできる場所でありたいと願っております。

曹洞宗 永泉寺

手を合わせれば いつでもほとけさまに逢える 手を合わせれば そこには大切な家族がいる 永泉寺は 皆さまの心の道しるべとなる お寺でありたいと 願っています お葬式・ご法事・お墓のお悩み 樹木葬・永代供養墓について いつでもご相談下さい